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「Aからの手紙はできるだけいいところを見つけて読もうと」29年向き合ってきた神戸連続児童殺傷事件遺族が「区切り」を選んだ理由 手記「絶歌」による賠償を拒否 損害賠償が時効を迎えるも再提訴せず(関西テレビ)

1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件で次男の淳君を殺害された土師守さん(70)が加害男性の「A」に命じられた損害賠償が時効となる中、再び裁判を起こさず、これ以上請求しないことを決めました。

それは「なぜ息子が命を奪われなければならなかったのか知りたい」という思いで、Aに向き合ってきた土師さんたち遺族が関係に区切りをつけたことを意味します。

大きな転機になったのは2015年。Aが事件についての手記「絶歌」を無断で出版したこと。そこには、毎年送ってきた手紙でAが土師さんたち遺族だけに明かしたと思われた「真相」と思われるものが書いてあったのです。

土師さんは手記の印税による賠償を拒否し、Aからの手紙は途絶えました。

事件から29年、土師さんが「区切り」を選んだ理由です。

土師守さん(70)は、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件で、当時14歳の少年Aに、次男の淳君(当時11歳)を殺害されました。

【土師さん】「私たち家族は事件から29年経って、それなりの年齢になってきましたが、亡くなった子供は11歳のままで、ずっと私たちの中で変わらないんです。亡くなったときの本当に純粋な姿でしか、思い出すことができないですね」

1997年5月、神戸市須磨区の中学校の正門前で、切断された淳君の遺体の一部が見つかりました。

現場には「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと)という名の「挑戦状」が残され、その後、新聞社には声明文が届けられるという異様な経緯をたどります。

何よりも社会を驚かせたのは、逮捕されたのが中学3年生で当時14歳の「少年A」であったことでした。

Aは淳君のほかにも小学生の女子児童1人を殺害、3人を負傷させていたことが明らかになりました。

しかしAは逮捕されても、公開の刑事裁判で裁かれることはありませんでした。当時の法律で、14歳は年齢が低すぎることから刑罰を科す対象にならなかったのです。

さらに当時、処分を決める少年審判に遺族はかかわることができず、土師さんたちには何も知らされないまま、Aは医療少年院で治療と教育を受けることになりました。

「なぜ息子が命を奪われなければならなかったのか」。

その手がかりを求めて、土師さんはAとその両親に対し民事裁判を起こしましたが、裁判でも、事件についての記録などは明らかにされませんでした。

【土師さん】「(民事裁判を起こした理由は)事件の本当のことを知りたいということが1つ。あともう1つが、誰に責任があるのか、裁判所という公的なところの決定が欲しかったということです」

裁判では約1億円の損害賠償が命じられました。土師さんにとっては、事件の真相を知るため、Aとのつながりを持ち続けることに意味がありました。

【土師さん】「元々、金銭的にどうこうということではありませんでした。加害男性との関わりをずっと持ち続けていたい。そのための裁判・損害賠償でした」


引用元:Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ff8e108456e92832f6e983fb6a9ce475fc8984e