「ドン・キホーテ」「アピタ」などを展開するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は、4月6日、首都圏でスーパーマーケット「オリンピック」などを展開するOlympicグループを買収すると発表した。Olympicグループは7月1日付で、PPIHの完全子会社になる予定。買収額は約250億円だ。
PPIHとしてみれば、愛知県あま市に1号店をオープンした新業態「ロビン・フッド」を首都圏に展開するための買収と考えるのが合理的だ。Olympicグループは2026年2月期連結決算で3期連続の最終赤字に苦しんでおり、打開策を外部に求めざるを得なくなり、買収に応じたと見られる。
買収の詳しい事情については、両社ともに「発表されたこと以外、話せることはない」としているが、オリンピックが首都圏のローカルスーパーであること、PPIHが首都圏にロビン・フッドにすぐ転換できるような中型店舗を持っていないことを考えれば、両社の思惑が一致したのではないだろうか。
オリンピックの創業は、1962年。東京都立川市に「オリンピックショッピングセンター」をオープンした。同店は売場面積当たりの売上高が日本一となり、全国から見学者が絶えない繁盛店となった(現在は閉店)。オリンピックという屋号は、2年後に控えていた東京オリンピックも影響していたという。
1950年代後半はダイエー、西友など後に日本を代表するスーパーの創業が相次ぎ、高度経済成長の勢いに乗って、新しいライフスタイルを日本中に広げつつあった。中央線、青梅線、南武線が発着するターミナル駅である立川は、今後大きく発展する東京郊外の交通の要衝であり、買物の需要も旺盛であった。
翌1963年には、東京都国分寺市に2号店をオープン(こちらも既に閉店)。この店は画期的で、食品、衣料品に加えて、テナントに家電、呉服、紳士服、靴、文具などの専門店が入った、当時としては珍しい、今でいうショッピングセンターのはしりのような業態だった。しかも、屋上にはミニ遊園地やミニ動物園が設けられ、レジャーの面でも充実していた。創業者の金澤富夫氏は米国への留学経験もあり、米国で流行っていたショッピングセンターをいち早く導入することで非常に評判となった。
オリンピックの先進的な取り組みは、立川店や国分寺店だけにとどまらなかった。1964年には他社に先駆けて、産地直送販売を開始した。問屋、卸売市場を通さない取引は当時としては画期的だった。
1975年はフードストアのモデル店として東京都中野区に中野坂上店をオープン。当時は手に入りにくかった輸入食品も展開し、米国のモダンなスーパーを思わせる店づくりが話題となった。その後もディスカウントストア業態を開発するなどして、1988年に店頭登録、現在は東証スタンダードに上場している。
あらためて振り返ると、オリンピックが先進的で時代の先を行くような首都圏のスーパーとして輝いていたのは、1990年代頃までではないだろうか。2001年に東証1部へ上場しているが、その後は停滞している。
ちょうどその頃、スーパー業界自体が成熟化により、頭打ちの傾向が見え始めた。停滞する市場のシェア争いの中で成長を続けたのは、首都圏ではオーケー、ロピア、ヤオコー、マミーマートなど一部のスーパーだけだ。
オーケーやロピアは低価格で高品質、ヤオコーやマミーマートは地域住民のニーズをくみ取った生活提案に沿った商品の的確さで、業績を伸ばしてきた。また、イオンモールは大型ショッピングセンターとして、シネコンやフードコートを備え、圧倒的な規模感で全国に広がった。
引用元:Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/f266346a8e4eaeb6b97ccdbbe9e6ef370d67a550
