MENU

1歳で抗がん剤を投与されて髪の毛は全部抜け、肋骨は2本摘出、小学3年生時には母が血相を変えて…「世界で2番目にきつい抗がん剤」の投与まで経験した女性が忘れられない“幼少期の一番印象深い記憶”(文春オンライン)

 1歳で小児がん「ユーイング肉腫」と診断された愛迷(あいまい)みんみんさん。生涯上限の放射線治療と「世界で2番目にきつい抗がん剤」による闘病を乗り越え、今年30歳で無事に出産を果たした。

 幼い彼女はいかにして過酷な治療を生き抜いたのか。常に笑顔で看病を続けた母の隠された涙と、自らの病の深刻さに気づいた日の知られざるエピソードなど、壮絶な幼少期のリアルを語る。

◆◆◆

――ご出産、本当におめでとうございます。ただでさえ出産は命がけですが、深刻な持病をお持ちとのこと、ご不安も大きかったのではないですか。

愛迷みんみん(以下、愛迷) ありがとうございます。私は子どもを望んでいましたが、夫はいつも私の身体を心配してくれて、「身体に負担がかかるから心配だ」と言っていました。幼い頃から放射線治療などをしてきたので、妊娠ができたことが幸運だなと今振り返っても思います。出産は、妊娠34週0日で帝王切開にて行って、いまは元気な男の子との生活が始まっています。

――さきほど、幼い頃の闘病の話が出ました。1歳で希少がんが判明したとのことですが、どのように病気が見つかったのでしょう。

愛迷 はい、私は広島県に生まれたのですが、1歳2カ月でユーイング肉腫になりました。両親の話によると、1歳までは普通の元気な子だったようです。ただ、1歳を過ぎたあたりから微熱が1カ月以上も続いたそうで。

 最初は近所のかかりつけ医に行きましたが、「風邪でしょう」とのことだったのですが、あまりにも微熱が長いし、鼻水などのほかの感冒症状もなく、母が不安感にかられて医師を説得してレントゲンを撮ってもらったらしいんです。医師もかなり渋々応じたらしいのですが、X線写真には胸部に白い影が写ったとのことでした。

――それが、悪性腫瘍だった。

愛迷 そうです。1歳のときに、握りこぶし2つ分ほどの大きさの腫瘍があったようです。当然すぐに大きな病院を紹介してもらって入院し、手術になるわけですが、大病院の医師いわく「あと1〜2週間発見が遅かったら、生きていなかっただろう」と。ちなみに、腫瘍は肋骨にこびりついていて、1歳のときの手術で肋骨2本を摘出しています。

――当たり前ですが、闘病生活はつらいですよね。

愛迷 辛かったです。結局、私は1歳のときにユーイング肉腫だと診断されて、3歳、5歳で再発をしています。1歳から5歳までのうち、入退院を繰り返しながら、入院期間を合計すると2年強になるんです。ほとんど、病院が自宅のような生活を送っていました。

 1歳で手術を経験し、抗がん剤を投与されました。このとき、髪の毛が全部抜けています。3歳のときには骨髄移植と抗がん剤にくわえ、放射線治療もやりました。このときに、人間が生涯で浴びられる放射線量の限界値まで浴びてしまっています。とにかく副作用が強かったのを覚えています。嘔吐用の銀色の皿が用意されていて、それにずっと吐いていましたね。その記憶が濃いです。

 5歳で再再発したときには、もう選択できる治療法がなくて、身体に抗がん剤をばら撒いたそうです。すると、本当に奇跡的に寛解したと医師から伝えられました。

――特に抗がん剤の副作用のつらさは、現在でも思い出すほどだとか。

愛迷 20年以上の年月が経過しても、頭の片隅にずっとありますね。今後の人生でも消えないかもしれません。何種類もの抗がん剤を投与されたのですが、そのなかに当時の主治医が「世界で2番目にきつい」と言った薬があるらしいです。

 また、薬のつらさももちろんですが、入院生活そのものも精神的にはこたえました。昨日まで病室で一緒に遊んでいた友だちが明日にはいなくなってしまうことを経験し、さみしいなと感じたこともありました。

――手術を経験された身体には、傷跡が今もあるのでしょうか。


引用元:Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6508c150797274dbcc1887e509c67ba9c0e93e